大津坂本~叡山の門前町

Img_0623 彦根、近江八幡から膳所(ぜぜ)で、京阪鉄道石山坂本線に乗り換え、三井寺経由で坂本を訪ねました。

 坂本は、実はわたしの父の本籍地で、昔は祖母方の屋敷があったと親戚から聞いたことがあり、一度訪ねてみたいと思っていた町でした。穴太(あのう)積みの石垣の上に白壁が続く屋敷だったそうですが、その面影は今も坂本の町にそっくりそのまま残されています。

 戦国期には琵琶湖周辺には、信長の安土城、秀吉の長浜城、三成の佐和山城などのお城が次々に造られましたが、それらの城壁はここ坂本の近郊にある穴太(あのう)という集落の人達が、作ったと言われています。

 自然石を巧みに組み合わせ、崩れることのない石積みの技術は、当時の土木技術の高度さを示していますが、こうした巨石を扱う文化は、古墳時代から新羅や百済の渡来系民族がもたらしたものでしょう。安土桃山時代から江戸期にかけて創造された、日本の城の象徴ともいうべき城壁作りの技術は、この穴太衆によって広まっていったのでしょう。

Img_0599 延暦寺の里坊を代表する滋賀院門跡の石垣は中でも一際立派です。白壁には、写真では見えにくいですが、御所と同じく五本の線が入っていて、これが門跡寺院の格式を示すのだそう。京都の近くに来ると、武士よりも朝廷の威光の方が強いのでしょうね。

Img_0596 滋賀院の奥には、小堀遠州作の泉水庭園がありました。大津や坂本は京都駅からわずか15分程度。比叡山に遮られて、京都観光からは見落とされがちですが、京都文化圏に入る町のような気がします。また、京都の都市化の進み具合に比べ、昔の面影がしっかりと残され、ゆっくり歩くには丁度よい町でした。滋賀は、そんな町が多いような気がします。

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近江八幡

Img_0494 近江八幡市は、彦根から少し南に下った近江商人の町。古い町並みや水郷が残され、江戸時代の街道沿いの宿場町の面影が残っているかと思えば、大正から昭和初期の洋館建築のモダンが今も生きている不思議な町です。

Img_0479 池田町洋館街は、戦前の日本の洋館建築の代表的な建築家のひとりウィリアム・ヴォーリスが近江八幡で最初に手がけた洋館で、三軒ならびでヴォーリスの大正洋館建築が建っています。

Img_0531そして、八幡堀という琵琶湖との水運による商業経済を発展させた水郷の町。これだけ江戸から戦前までの古い景観がまとめて残る町は、本当に珍しいと思います。

ゆっりと街並みを鑑賞しながら歩くだけで半日は楽しめますが、その代わりに足は「棒」に。でも、きままな一人旅にはもってこいの小さな町です。

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彦根城下

Img_0450_sh01 彦根は、関が原の戦の後、徳川譜代の井伊直政が転封されて以来、湖東の城下町として繁栄してきた都市です。

彦根藩となる前は佐和山藩といい、安土桃山時代には関が原の戦で徳川家康に対抗した石田三成の居城である佐和山城の城下にあたったところ。

関が原以降、西国大名の謀反を食い止めるため、播磨の国の姫路城とともに江戸防衛の拠点として築かれた城とのことでした。

写真は、玄宮園という大名庭園の中から彦根城を写したもの。わたしの地元、岡山の後楽園でも似たような構図で岡山城を愛でることができるスポットがありますが、庭園の遠景として勇壮な天守が聳えて見える風情は、当時の大名の自慢の景色だったことでしょう。

天守に登ると、琵琶湖が眼下に広がり、湖東の景色を楽しむことができるようですが、GWの彦根は観光客でいっぱいで、天守に入るのに一時間待ちと言われ、諦めました。

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近江散策

Img_0552 すっかりブログからご無沙汰してしまいました。今年のGWは近江を一人旅してきました。久し振りのブログのウォーミングアップに、少しずつ旅行記をアップします。

写真は近江八幡で見つけた篆刻作家の作品。近江八景を題材に8つの作品を一枚にまとめています。

ご存知の方は、文字の形から類推できるでしょうが、左上から「比良の暮雪」「堅田の落雁」「唐崎の夜雨」「三井の晩鐘」「粟津の晴嵐」で一番下にあるのが「石山の秋月」右上に上がり「勢多の夕照」「矢橋の帰帆」で丁度、8つですね。

今回わたしは名古屋から関が原を抜けて彦根に入り、近江八幡から三井寺経由で大津坂本へと湖東から湖南へと辿るルートをとりました。多少記憶もあいまいになってしまいましたが、江戸時代の城下町彦根、近江商人の発祥の地近江八幡、叡山の里坊の町坂本と、それぞれに全く趣の異なる風情の街並みを楽しく歩いてきました。

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鎌倉散策

Img_0019 「泣かないつも~りが、笑顔になれ~ない あの日の思い出 溢れる江ノ電 見つ~めて」とサザンの鎌倉物語を口ずさみながら、鎌倉の路地をブラブラと歩いてきました。

Img_0082 古い町並みには必ず、ひと一人がすれ違うことができるくらいの路地が残されています。鎌倉は、大通りから一つ入っただけで住宅街の中にも、こんな閑静な小道があります。柴垣があって、曲がり角にはお宮が祭られています。

Img_0085 小道を歩いているのは塾帰りの少女のよう。

Img_0081路地の奥には、こんなアプローチのあるお宅がありました。すごく雅趣のある門構え。でも、こんな路地の奥だと、絶対自家用車では、自宅にいけないよなぁ。こういう路地に住む人って車は使わないのでしょうか?

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鎌倉文学館を訪ねる

Img_0032 かつて三島由紀夫が「春の雪」の中で描いた別荘のモデルだったのがこの鎌倉文学館。加賀百万石の前田家の別荘だったものだそうです。明治期の上流階級の優雅さ、西欧文化への憧れ、当時の雰囲気がよく伝わってくる建物です。

Img_0022 正門から文学館までは石畳の坂道が続きます。

Img_0023 雨に濡れた青楓が輝いてみえます。

Img_0027  緑のトンネルを抜けると、丘の上に文学館の建物が見えます。Img_0028 Img_0033

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鎌倉には戦前戦後、鎌倉文士と呼ばれる作家達が集い、ある種のサロンを形成していた時期があります。大仏次郎、川端康成、久米正雄、小林秀雄など、古都鎌倉のもつ独特の文化性に惹かれた作家達が数多く集まったようです。鎌倉文学館には、そういう人たちの直筆の原稿が常設展示されていました。

鎌倉には、地方の城下町で感じることのある落ち着いた文化性と、海が近いせいか、横浜や神戸に通じる明るい開放感とが混ざり合って、一口では言い表せない独特の魅力があります。

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雨の円覚寺

Img_0054 梅雨入り間近の鎌倉に、東日本フリーキップを使って日帰りで出かけてきました。日曜日はsunでしたが、お出かけした土曜日は生憎のrain。晴れ男を自負している私には珍しい天気でしたが、雨に濡れた青葉が瑞々しく映えて、雨の鎌倉は風情のある佇まいを見せてくれました。

簡単に鎌倉日帰りと言っても、仙台-鎌倉間は片道3時間、往復6時間コースですから、滞在時間はかなり限られます。お昼前に由比ガ浜に着き、地元で評判のイタリアンレストランで昼食をとったあと、北鎌倉を散策。最後は小町通りでお茶をして夕方に鎌倉を出て、午後8時に仙台に戻ってきました。

北鎌倉では円覚寺を参拝。北鎌倉駅の真ん前にあるのに、これまで一度も訪れたことが無かったので、今回は必ずお参りしようと心に決めていました。

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コメントを入れない方が、わたしの散策の気分が伝わるかと思います。

紫陽花で有名な明月院や東慶寺もすぐ近くでしたが、傘の花がいっぱいで、ゆっくりと散策するのは無理だと思い、今回は訪ねるのを見送りました。

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GWの温泉旅行 青根温泉 湯元不忘閣

Img_0078 青根温泉は宮城蔵王の北側の山ふところにある小さな温泉街。江戸期は伊達藩の御殿湯が置かれた由緒正しい温泉です。

中でも、湯元不忘閣さんは、藩主専用の湯治場であった青根御殿を所有する格式の高いお宿。建物は古いけれど丁寧に使われ、とてもいい空間でした。

バブルの頃に大型化せず、昔ながらの古き良き山の宿の雰囲気がそのまま。また、部屋数も14部屋だけと、満室でも30名くらいの定員に、5つのお風呂があるので、何処に行っても、人の気配が少なく、ほんとうにゆっくりできます。

なかなか回復が思わしくない耳の治療をかねて、GWに出かけてきました。

Img_0087_2 青根御殿は焼失後、昭和初期に立て直したもの。

ここにも泊まれるのかと勘違いしていたのですが、見学だけとのこと。GWに伺った時は震災で壁が落ち、修復中とのことで、見学もできませんでした。ちょっと残念。

Img_0081昔の木造校舎のような旧本館。いまは2階が会食場。一階は湯上りの休憩所として使われています。

Img_0084_2中はこんな感じで、湯治場の時代の流し場(洗面所)がそのまま残っています。なんだか懐かし~。

Img_0098人気の貸切風呂「蔵湯」は土蔵の中をリニューアルして、大空間にヒノキの湯船があるだけの不思議な空間。写真がヘタで、雰囲気が伝わりにくいですが、お風呂の大きさは3m四方の広いもの。これを貸切で使うのは、とっても贅沢です。

おかげで、気分的にはかなり癒されて来ることができました。 

県内にこんなよい温泉宿があったとは、不覚でした。

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錦市場

Img_0047 京都の台所と言えば錦市場。以前、長男が京都に遊びに行ったとき、錦市場で千枚漬を買って、「京都の漬物ってなんでこんなに美味しいの?」と感動してました。

千年の都は、山城の国にあり新鮮な魚介類が手に入りにくかったので、昔から加工食品の伝統があるってことですかね。漬物やら湯葉やら、そういうものが美味しいですから。

Img_0048 おみやげ物グッズも沢山ならんでいて、狭い通りはどこまでも押すな押すなの賑わいです。

寝不足と疲労で、ほとんどエネルギーも切れ掛かっていたので、写真をとっただけで終わってしまいました。今度行くときは、もう少しじっくりと取材してきます。

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路地裏

Img_0049 京都の街は、戦災にあっていないので、昔の区画が残っています。そして、その街その街に歴史があり、他の自治体のように簡単に地名を変更したりしません。いまや日本全国何処の町でも、○○町○丁目○番○号という街区が標準ですが、京都の住所は、全て通りの名前が住所になっています。

「柳馬場通 四条上る」つまり、柳馬場通り(南北)と四条通り(東西)の四つ角を北へあがった立寶中之町という住所になるのですね。京都の郵便配達の方は、この地名を全部知っていないと配達できないのだそうです。

そして、こうした狭い路地裏が、いまでも生活の中に息づいているのが、京都の街。ひと一人しか通り抜けできないサイズの小道は、ひとのためにある道。合理性だけを追求すると、車の入れない無駄な空間になりますが、ひとが生活の主役であるためには、一番贅沢な空間だと感じます。

京の暮らしの贅沢さは、高級料亭や神社仏閣の歴史遺産よりも、こうした路地裏空間がしっかりと残されているところにあるような気がします。

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